開戸事変

イウコト・イイコト

『くさやvs.ファブリーズ』が問題になった事への違和感…


今日、「Yahoo!ニュース」を見てみるとこんな記事がありました。


この記事の内容としては、地元のソウルフードでもある「くさや」を散々罵倒され、ファブリーズだと全く臭くなることがなく、くさやに打ち勝つことが出来るという内容です。

この記事で取り上げられた内容はTLでも話題になり、Twitterの人々の間では賛否両論に湧きました。

しかし、ここで密かに疑問、というより違和感のようなものを感じとりました。


その違和感の正体とは、「今更感」である。


というのも、今までTVでは芸人や芸能人の間でもくさやを臭い臭いと罵倒したり、罰ゲームのネタにもされてきました。

そう、これまでは「くさや」を臭いというのは当たり前だし、その事に対して何を言っても、視聴者も当たり前だと感じていたし、問題にもなりませんでした。

現に今回の記事でも、当初は批判するどころか、「分かりやすい」と評判になり、結果としてwebCMだけでなくTVCMでも放映される事になりました。


なのにTwitterの批判者の中ではTVCMを批判する人間が出てきています。これが悪いとは思いませんが、中には好反応を示していたのに手のひらを返した人もいるのではないでしょうか?


話を戻すと、
確かに罵倒は悪い事だが、なぜ今更批判されなくてはいけないのか?

何故、今更くさやに対しての罵倒を今更批判するような事態になったのだろうか?

色々と考えてみました。


そもそも批判したのはどういう理由?

そもそも今回批判したのはどういった理由からくるのか?

記事では地元議員がCMに対して侮辱され、地元の産業に悪影響を与え、地元民やくさやが好きな人にショックを与えるとしています。

確かにショックは受けるでしょう。
しかし、今までのTVでのくさやへの侮蔑に対してはショックを受けたり、産業に影響を与えなかったのでしょうか?

これは僕の考えですが、もちろんあったかと思います。

地元民やくさやが好きな人にとってはショックな気持ちはやはりあったと思うし、地元産業に携わる人にとってはせっかく作ったくさやがこんな風に侮辱され、罵倒されて扱われるのは文句も言いたくなるでしょう。

おそらく我慢してきたと思います。

では、その我慢が通り越して今回のでブチ切れたのか?

実はそうとも考えられないのです。


企業が行なったからいけない?

社会的地位もあり、誰もが知っている某有名企業が、大々的にCMにより、くさやを侮辱したから、でしょうか?

確かに、今や大きな力を誇る某有名企業が自社の製品である「ファブリーズ」によりくさやを貶めたら、許せない気持ちにもなります。

まるで社会がくさやを罵倒されているような、そんな錯覚にも感じられます。

しかし、社会的地位にあり、社会的に大きな影響力を誇るTVが、今まで番組でくさやを臭い物扱いで扱っていたことはどうでしょうか?

同じくらいの力を持つのに、突然「企業だから」というのも、どこかおかしな話のように感じられます。

確かに、企業には社会に対する役割があると思います。

もちろん、それに対する責任も。

でも今回のは、企業という理由ではなく、もっと違う理由のような気がします。


伝え方の問題か?

この理由にしてしまうと、ここまで述べてきたことが全て無駄になってしまう気がするのですが、やはりここに今回の問題がある気がするのです。

Twitterの人々でも、伝え方については色々と意見を述べていました。

では伝え方、CMの表現のどこがいけなかったのか?


考えられるのは

・くさやとファブリーズを対決させるという舞台
・出演者が徹底的にくさやを侮辱すること
・くさやがファブリーズに負け、堂々とファブリーズが勝利宣言すること


この三つかと考えられます。


ただ、出演者がくさやを徹底的に侮辱するのは、今までのTVでもごく当たり前でしたし、視聴者も特に何も感じていませんでした。

また、舞台に関しても、「なぜ対決しなくてはいけないんだ?」という疑問しかありませんが、そこまで気にするような事ではないように感じられます。

そして残るのは「くさやがファブリーズに負け、堂々とファブリーズが勝利宣言すること」です。

おそらく、ここがダメだったのではないかと思います。


何がダメなのかというと、上手く言えませんが「ファブリーズ」が勝つことは別に悪い事ではないのです。


ただ、くさやが「負けた」事がダメだったのではないかと思います。


そもそも負ける、「敗北」というのは圧倒的な屈辱です。今まで多くの勝負ごとがありましたが、そのどの戦いでも、誰も負けることを望んではいません。(漢気ジャンケンは除く)

負けて嬉しい訳ではなく、敗北という名の虚しさは、おそらく言葉で説明しなくても分かるかと思います。

そして同時に湧き上がる「悔しさ」

様々な負の感情が抑えきれません。


今回のCMでは、くさやは散々侮辱されただけでなく、「企業」という社会的地位にある「ファブリーズ」という製品に何故か敗北されました。

くさやと密接に繋がっている人にとっては、くさやを罵倒されてきたのには我慢してきましたが、特に理由なく、自社製品の宣伝のために利用され、くさやが侮辱、挙句の果てに敗北されるというのは、この上ない屈辱のように思えるでしょう。


結論すると…

この事から、くさやを罵倒されてきた事には今まで問題は表面化されはしませんでした。

表面化されないというのは、今まで我慢してきたために、本当は許せなかったけど問題にしなかっただけ、という事です。

しかし、今回の「くさやvs.ファブリーズ」のくさやの敗北により、怒りは頂点に達したでしょう。

まぁ、何が言いたいのかというと、何の理由もなく「敗北」させたのが一番の問題だったのではないでしょうか?


CMの後にでも「このCMは企業の宣伝のために作られたものです。くさやに対して非難するものではありません。」

とか

「スタッフ一同はくさやを美味しく頂いています。」

というのを入れたら、少しは問題になるのを抑えられたような……


ダメかな?


まとめ

地域の人々が一生懸命作った物を批判するのは、正直どうかと思います。問題にはすべきでしょう。

そして、今回の一件で番組やCM製作者もモラルを守ったものを作って頂きたいです。

しかし、あまりモラルを守ったり、気にしすぎるとかえって別の問題もあります。


やっぱり「市長賞を」青森・黒石市長が謝罪 自殺少女の写真受賞取り消し問題


上の記事のように、一見するとおかしな話が出てくるのです。

市長も判断に迷ったのでしょう。
正しい事なのか、悪い事なのか。


しかし最終的な決断に至った理由としては「世間の目」ではないでしょうか?


今回のCMは当初は好評だったようです。

しかし地元民の批判により、CMの評価は奈落の底へ行ってしまいました。


確かに悪いなのかもしれませんが、これに懲りず、また良いCMを作って欲しいです。

また世間も、あまり過敏に反応し過ぎずに、もう少し暖かい目で見て欲しいような、そんな気持ちもします。

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